二村ヒトシさんの言葉
スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。
AV監督で、近年は恋愛エッセイも執筆されている、二村ヒトシさんの本――『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』。
この本の中に、こんな文章があります。
“「あきらめるという言葉の本当の意味」(……略)「自分を苦しめるものは、本当は自分には必要じゃないものなんだ」ということを知って、あきらめる。……「自分にできないことは、やらなくていい」……「もうそろそろ、『もっと、これ以上』って、思わなくていい」……手に入らないものを手に入れようとする「努力」が、「あなたを苦しめる」なら、それは欲しがらなくてもいいものなのです。”
この文章を読んだ時に、館長は衝撃を受けました!え?じゃ、今まで、やってきた『潜在意識』とか、『引き寄せの法則』とか、あまたの『願望実現法』は?あれらは、いったい何だったの?欲しいものは何でも手に入るということじゃなかったの!?
「引き寄せ」万能説への疑問
二村さんの言葉に衝撃を受ける同時に、何とも言えない安堵感を覚えたというのも、正直なところでした……。
星子の場合は、2012年12月ごろから、占いなどでスピリチュアルに興味を持ち始め、それから、潜在意識や引き寄せの法則など、様々な本を読み、誘導瞑想をし、ワークショップ・セミナーに参加し、とうとう、あるスピリチュアル系の団体に所属するまでになり、しかし、そのスピリチュアル系の団体を退会し、それ以後は、並木良和さんの講演会へ行ったり、DVDを購入したりしました。
並木さんのところで、やっと、目醒めという、これまでの引き寄せなどの願望実現系とは違う望みができたのですが、そうなってからも、やはり、何かを引き寄せたい、願望を叶えたいという想いは捨てきれずにいました。
願望実現系スピリチュアルをやって、確かに今までよりも楽に生きられるようになったし、実際に叶った願い事もいくつかありました。ですから、こうした願望実現系で示されている法則が、全て、ウソではないかもしれません。
しかし、ジェームズ・ギリランドさんの『究極の魂の旅』を読んだ時、ギリランドさんレベルの、スピリチュアルな人であっても、女性との関係で問題を抱えていた時期があったようで、こうしたことから、この法則も万能ではないのではないか?と疑問を持ちました。
二村さんの上で紹介した本を読んだのは、ギリランドさんの本を読む前ですが、二村さんの本を読んだ後の、あのほっとした感じの正体は、何だったのか?とそれから、しばらく考えることになりました。
「引き寄せ」疲れ?
引き寄せの法則、潜在意識などによる願望実現で辛いのは、それがなかなか、叶わないことです。さらに、なぜか、ある特定のことだけ、叶わないことがあります。
こう言うと、引き寄せや潜在意識などで、成功した情報発信者の多くが言うことは、「あなたがそれに執着しているから、叶わないのだ」と言うことです。あとは、「エゴがあるからだ」とかです。
さらに、星子の場合は、スピリチュアル男子に「あなたには、『愛』がないから」という指摘も頂きました。スピリチュアルと言えば、「愛と光」、「無条件の愛」がお決まりのトピックスですから、焦りました。キリストや聖母マリアに倣えばいいのか、と真剣にがんばったこともあります。
他人を許さなきゃ、執着を持たないようにしなきゃ、エゴがないようにしなきゃ…。あるいは、叶わない場合の対策として、願った後に、忘れるといいという話も、よく聞きました。これは執着と関係がある方法なのだと思いますが、願った時の純粋な状態を保持するため、その後、余計な想いや思考などで、願望を邪魔しないと叶うというやつです。
まあ、これだけ聞いただけでも疲れると思いますが、ただ、願うということだけで駄目であれば、あらゆる対策法があり、もはや、それをやることに、神経をすり減らすことになりました。さらに、これだけやったにもかかわらず、叶って欲しいことは依然として叶わない。
また、ある人は自分が創造主なのだと言うのです。自分がこの世界を創っている(クリエイトしているのだ)と。だから、創りだせないものなどない、と。こう言う考えからすると、創造できていない星子のような人間は、何かマズイ状態なのか?欠陥があるのか?
そう思ったが、つかの間、「あなたは、あるがままで完璧な存在です」という話も、耳に入って来る。いや、どっちなん・・・?
苦しかった原因は?
星子も、多くの人と同じく、「引き寄せ」系について、一連の苦悩の過程をへてきたのですが、二村さんの本の中にあった文章――
“手に入らないものを手に入れようとする「努力」が、「あなたを苦しめる」なら、それは欲しがらなくてもいいものなのです。”
この文章に、何か解決のヒントが隠れていないでしょうか?――もしかして、星子が、引き寄せたい、叶えたいと思っていた「望み」って、それは、もしかして、「欲しがらなくてもいいもの」なんじゃないか?――本来、「欲しがらなくてもいいもの」のために、「努力」しているから、苦しいんじゃないか?――さらに、言えば、「叶わない苦しみ」とは、本来、「欲しがらなくてもいいもの」を「欲しがろうとしている」、その矛盾のことで、要するに、「叶わないもの」=「本来、欲しがらなくていいもの」なんじゃないか?
それで、ふと、館長・星子が叶えたかったり、引き寄せたくても、引き寄せられていないものってなんだろう?と考えてみました――結婚かな?いや、その前に、恋人?パートナーとか?
不思議なことに、改めて考えてみると、その正体はよくわからないのです。あまりに長年、望み続けていたために、望むことが当たり前になり、実はその願望すら、曖昧になっていたのです!
それでも、やはり、恋愛関係のみ、叶っていないなアという結論に至りました。それでも、どこか、苦しみの原因としては、しっくり来ない…。なんだろう?と。
それで、ようやく、おぼろげながら、わかって来たのは、「理想の生活」と「現実の状況」のギャップということでした。思い描く生活と、目の前の現実とが、あまりにもかけ離れているように感じられたのです。「理想の生活」のために引き寄せなければならないものが、引き寄せられていない――この状態が、館長の苦しみの原因なのでした。
その理想は、本当に「理想」なのか?
「理想の生活」を構成している要素=館長が引き寄せなければいけないものが、二村さんの言う通り、もし、星子にとって、「本来、欲しがらなくてもいいもの」だったら、どうだろう?
人によっては、「これだけ欲しいのだから、これは、私の人生に必要なものに違いない」と思っているかもしれません。星子も、そう思っていました。でも、それが、もしかしたら、単なる思い込みであり、社会にそれが必要だ、それがないと、虚しい人生だと思いこまされてきた可能性はないでしょうか?
もし、それらが「本来、欲しがらなくてもいいもの」であるにもかかわらず、それに対して「努力」し続け、「叶わない、叶わない…」と悩んでいるのだとしたら?
もしかしたら、もっと他に、欲しがるべきものがあるかもしれない。「欲しがらなくてもいいもの」だから、「叶わない」のに、それに延々と時間を費やしてしまって、「本来、欲しがるべきもの」であったり、この地球に生まれて来た意味や使命にかかわるものだったりを知る前に、人生が終わってしまう……そういう可能性もあります。
そうならないためにも、一度、自分が引き寄せられなくて、叶わなくて辛いことを、紙に書いてもいいし、頭の中で一度、整理することを、オススメします。
そうすることで、「もしかして、これは私が欲しがるものじゃないのかもしれない」と言うことが、わかるかもしれませんし、叶わないという悩みから解放されるかもしれません。
心にぽっかり空いた穴は、スペース(空間)
答えがわかった後に、何となく、放心状態になってしまうかもしれません。これまでずっと、そのことに関わり、努力してきたのだから、当然です。
これから、何を目的に生きて行ったらいいの?となるからです。
しかし、そうこうしているうちに、スペースができたところに、本来、自分が「欲しがるべきもの」、引き寄せたいものが、ポンと入って来ることがあります。
すると、「あ、わたしの運命はこういうことだったんだ」と、腑に落ちたりします。そうしてできた新たな目標に関しては、急速に物事が展開して行ったりします。
これは当然と言えば、当然で、それが、「欲しがるべきもの」だったからで、運命も、自分を導いてくれる存在も、率先して、人生を先に進めてくれるのです。
そうなった時に、やっと、これまでずっとあった苦しみの原因は、自分の運命に抵抗していたからだとわかるのだと思います。