「愛されること」について掘り下げる。
こんにちは。スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。
今回は、「愛される」とはいったいどういう状態のことを指すのか?ということをテーマにお話ししていきます。
スピリチュアルの世界では、よく「愛」と言う言葉が使われます――「宇宙の愛」、「キリストの愛」、「神の愛」など。この「愛」と言う言葉は、何か美しいもの、よいものとして認識されていますが、実態がない、目に見えないものであるがゆえに、それが存在するのか、否かと言う話、つまり、現実に存在するのか、具体的にどんなものを指して「愛」というのか?と言われると、人々は答えに急するのです。
以前、星子は、吹き渡る風など、身の回りにあるもの全てが愛ではないか?と言う議論をアメブロで展開しました。
https://ameblo.jp/ladolvite8/entry-12708122414.html
今回は、「愛される」という、「愛」単体の話に比べると、より身近な「愛」の形、「愛の状態」について、踏み込んで考察し、「愛」の一側面から、さらに「愛」の本質に迫っていきたいと思います。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』
今回のテーマは、「愛されるということ」ですが、皆さんご存じの通り、「愛すること」に関しては、エーリッヒ・フロムの有名な『愛するということ』という本があります。
愛することは技術という話を展開して有名な本ではありますが、星子にはイマイチ、何を言っているのかよくわかりませんでした。
おそらく星子と同じように感じた人も多いと思いますが、世間には、「愛されるよりも愛する方が重要で、気高いことである」というような話が蔓延しているので、このフロムの本についても、「ふむふむ、なるほど、愛するとは技術で、努力が必要なんだな」と理解した素振りする人が大勢いるのでしょう。
グリア博士が紹介する格言
ところで、グリア博士の生い立ちに関して、
――と、こうした記事を投稿しましたが、これを書く際に主に参考にしたグリア博士の著書『UFOテクノロジー隠蔽工作』、
この本には、バハイ教の長だったアブデウル・バハの言葉とされる、素晴らしい格言が紹介されている――
「愛のあるところ、手に余る問題はひとつもない。いつでも時間はある。」
(『UFOテクノロジー隠蔽工作』p.72)
愛があるところには時間がある。
グリア博士の活動を見ていると、CE-5、ディスクロージャー、そしてフリーエネルギーと、これだけたくさんの活動をどうしてできるのだろう?どうやって時間のやりくりをしているのだろう?と思うことがあります。
しかし、上で挙げた格言について、グリア博士が「私は心からそう信ずる。これは惑星地球で私たちが学ぶべきことの一部である」と述べていることから、愛を持って行う活動においては、「手に余る問題」はなく、時間も十分にあるというわけです。
こうしたことを踏まえて考えれば、「忙しい人」には愛がない、ということになります。
たとえ友達や恋人、家族であっても、相手が「忙しい・時間がない」という人だと、自分よりも相手の方が上のポジションを得たかのように勘違いしてしまうことがあります。
「忙しい人」の側が主導権をとり、そういう相手には、こちらが「時間を作って頂く立場」となり、へりくだってしまうのです。
ところが、グリア博士が紹介している格言によると、「忙しい人」というのは、愛がない人である、ということになります。
それでは、この話題は、その2へ続きます。