愛されるということ。~その3~愛し・愛されるでワンパッケージ!

TL漫画からの気づき(まとめとおさらい)

こんにちは。スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。

「宇宙的な愛」などといった「愛」それ自体というよりは、「愛される」というより身近な感じのするものについて、掘り下げていく記事の3回目です。

その2の記事で取り上げたTL漫画の例でわかることをおさらいしますと、

・人間は弱い存在である。

・それゆえに、愛する・愛される、そのどちらか一方では不十分である。

・愛すると愛されること両方そろって、やっと人を思いやる余裕がもてる。

・愛されることに慣れていない場合はそれをしっかり教えてもらうこと。

・そして、相手を信じること。

――こんなこと、星子がこれまで出会った、どの本にも載っていませんでしたが、なんとTL漫画で学んでしまいました。

愛は一つのパッケージ

さて、上の漫画での学びからわかることは、

「愛」とは、「愛する」だけでも、「愛される」だけでもダメで、「愛し」・「愛される」ということで、やっと「愛」というワンパッケージになる、ということ。

スピリチュアルでよく言われる「無条件の愛を注ぐ」というのは、単に一方的な愛に過ぎず、極端に言えば、これはストーカーの愛と同じです。

美しい言葉で言うと、「無条件の愛を注ぐ」とは、「愛のこだま」です。山へいって、「ヤッホー」と叫ぶと、「ヤッホー…、ヤッホー…、ヤッホー…」とこだまする、あれです。こだまは、自分の声がかえってきているだけなのです。

ただひたすら愛を注ぐのは、自己満足的なことでしかありません。

「愛」とは、すなわち、コール&レスポンスなのです。アイドルのコンサートで、アイドルが何か言うと、観客がそれに応じる、あれです。

TLに続き、またも、怪しげなものが出てきた!自分は高次元スピリチュアルな情報が欲しくて来たのに!ーーと思われそうですが、高次元スピリチュアルを謳う人びとやそのブログが、ただ言葉の上でだけ「愛」について語っているだけで、読者や受け手が実際に「愛」を受け取ったり、体感する方へ導いてはいません。
スターシード図書館では、読者に実際の生活の中で、「愛される」経験をしてもらいたいのです。

愛されることを学ぶ。

今回取り上げたTL漫画のヒーローのように、愛された記憶があまりない、またはそうした記憶や、体験がない、覚えがないという人が、人を愛そうとすると、大変疲弊します。
というのも、愛を放出するだけで受け取れていないからです。

愛のエネルギーは循環させることが大事です。

愛されたことがないという人の場合は、「自分はこれから愛されることを学ぶんだ」、「愛されることを教わるんだ」と気づき、決意する必要があります。

今回の漫画はTLということで、男女の性愛でしたが、愛されることを学ぶ相手は人だけとは限りません。
先ほど、こだまの例を出しましたが、もし、ただ一方的に山や自然を愛するだけではなく、山や自然から愛が返ってきた(山や自然に育まれている感じなど)がしたら、それは山や自然から愛のレスポンスが返ってきていることであり、その人は、愛し・愛されるというワンパッケージの愛の循環を経験したということになるでしょう。

または、野良猫を引き取って、最初は警戒されていたものの、お風呂に入れたり栄養がある食べ物をあげたりしていると、しだいに猫の方から懐いて来たり、お腹を上にして膝の上で寝転んだりしたとします。これも愛し・愛されたのワンパッケージが完成しています。

スターシードであれば、スターファミリーとの関係でコール&レスポンスを感じるかもしれません。何かのサインをくださいとか、危険な時は守ってくださいとお願いしておくことで、何かの危機をよけられたり、サインがあったりして、守られているという実感があれば、そこにはスターファミリーからの愛というお返しがきているのです。

愛されたと、どのようにわかるか?

では、「愛されるということ」を学んでいる人が、いったい何をもって、自分は「愛された」とわかるのでしょうか?

答えは、簡単――余裕が持てた時です。

ここで、その1で紹介した、グリア博士の本『UFOテクノロジー隠蔽工作』で紹介されていた格言を思い出してみましょう。

「愛があるところ、手に余る問題はひとつもない。いつでも時間はある」

――これは、先ほどのTLの漫画作品で言われていたことと通じます。

愛があるところには余裕やゆとりがあるのです。

反対に、愛がない状態は余裕がない状態=忙しい、焦り、などの状態です。

周りを見渡して、常に忙しそうで、イライラしていたり、焦ってバタバタと何かをしている人がいた時、その人は「愛がある人」に見えますか?もちろん、そんなものは感じられないでしょう。

ですから、愛されたとわかるのは、自分がその相手や存在、対象に対し、焦りを感じず、余裕を持てた時です。余裕がもてるということは、相手を信じることができている証でもあります。

反対に、焦りを感じたり余裕がない時は、二つの原因が考えられ、一つは相手からの愛を自分が上手く受け取れていないパターン(TLのヒーローの男性がこれ)か、そもそも相手が愛を送っていない――つまり、相手側に愛がないということになります。

愛された記憶

愛するということと同じぐらい、愛されるということも大事です。この両方がそろって初めて、二つの存在の間に「愛」が存在します。

相手から愛が返ってきているか、よく注意してみてください。愛が返ってこないような相手は、愛する価値がない相手かもしれません。これは決して損得勘定のようなものではありません。
いくらお金を積まれたとしても、余裕を持つにはこれで十分とは思えないものです。はじめはそれでよくても、次第に、「もっとあったら…」となるのです。

愛が成立しているかどうかは、自分の心に余裕があるかどうか聞いてみるしかありません。

しかし、一度でも、「愛された記憶」があると、人は果然、強くなります。そして、強く生きていくことができるようになります。

さらに言うと無理に人と分かり合おうとはしなくなります。
そして、失礼な態度を誰かに取られたとしても、「自分にはこういう愛された記憶があるんだ。でも、この目の前にいる人は、私のことを愛してくれた存在ではない。そんな親密な相手ではない。私のことを何も知らないんだから、失礼な態度をしてきたって、しょうがないんだ」と思えるのです。

愛されることを知っている人は、人に寛容になれますし、さらに言えばマナーを守れます。マナーとは、見知らぬ相手という前提に立った相手と衝突しないで気持ちよくいられるためにあるからです。