幸せと愛は売っていない~イルカの声で目醒める~

こんにちは。スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。

この間、ショッピングモールを歩いていて、カフェに入りました。

すると、イルカの声が聞こえてきました。
と言っても、店内にかかっている音ではありません。
私が前の日に見ていた、ジョーン・オーシャンのドキュメンタリーの予告で流れていたシーンに映っていたイルカの声でした。
そして、私は不意に悟ったのです。
「ああ、私が欲しいものは、売っていないんだ」と。
特にここ10年ぐらいの間、イルカの意識が私にアクセスしてきました。
あれらがイルカの意識だったのか、イルカに姿を変えたスターファミリーだったのかわかりません。スターファミリーとは、地球に来る前に他の星で家族だった等縁のあった人たちで、本当の両親であったりし、時間や空間を超えて特別な絆があり、地球に転生した元家族や親せき・友人・恋人ら=スターシードを見守る存在です。

ところで、過去、私はそれがイルカの「意識」ということさえ気づいていませんでした。
なぜ、イルカなのか?わかりませんでした。
イルカが人を癒すということは、小さい頃、聞いたことがありました。
最近知ったのですが、イルカと泳ぐと癒されるという話が、1990年代に日本で広まったのだそうです。そして、日本人の間でドルフィン・スイムが流行ったというのです(野崎友璃香さんによると)。
幼い私のもとに伝わっていたのですから、相当流行っていたのでしょう。
でも、小さい頃のイルカとの関わりといえば、水族館に行った時、一緒に行った母の友達の娘で私と同じ年の子は、予算内のぬいぐるみを選んでおみあげに買ってもらったのに、私は、それより高いイルカのぬいぐるみをどうしても欲しいと言って、それを無理やり母に買ってもらったということだけです。
しかも、そのぬいぐるみはある程度の年齢で手放してしまいました。
そんなわけですから、特にイルカとは縁があるとは思っていませんでした。

しかし、その後、30歳を過ぎた頃、時々イルカが私の目の前を通過していくのです。
そして、決まってその時、私は恋愛、つまり、パートナーシップで悩んでいました。
そういう時は、自分に自信がないというより、自分は愛されない、愛される資格はないと思っていました。
一番は失恋した時でしたが、その時、女友達が私を慰めてくれようとして、一緒に出掛けました。二人で言ったプラネタリウムで、葉祥明さんの『イルカの星』という絵本をテーマにしたプログラムをやっていました。
「星空を見る所で、なぜ、海に住むイルカなのだろう」
当時、イルカやクジラがシリウスとかかわりがあるとは知らなかった私は不思議に思いました。
プログラムの詳細は覚えていませんが、海に潜るように自分の内側へ「深く深く入っていくように」といった感じのナレーションがありました。
そして、本当の自分に還るような話でした。すると、素直になって自分を好きになれると。
プログラムが終わってみると、私はとても癒されていました。
しかし、その時はそれが私には気に食わなかったのです。
私の恋愛は、もっと大事で、イルカなんかで癒されるわけない!と思ったのです。
それで、私は感想を「修正」してしまいました。つまり、「『少し』癒されたかもしれないわね、イルカってそんな力があるのね」というぐらいに、弱く「調整」したのです。
しかし、その時、そのプログラムを気に入ってはいたので、プログラムのCDを買いました。そのCDのジャケットにはイルカが夜の星となって浮かんでいました。

これはわかりやすい出来事でしたが、その後も、気分が沈むと、イルカの絵の展覧会に行ったり、イルカがいる小笠原に行ったりと何かとかかわりがありました。
小笠原に行った時は、誘ってくれた一緒に行った女性にイルカを見たいと言いましたが、その人は「イルカなんてただの丸っこい魚よ」と笑っていました。
そして、夏だったこともあり、満席でイルカを見る船には乗れず、イルカを見ることはできませんでした。
しかし、その後、その「イルカなんて丸っこい」と言った人とは仲違いをして会わなくなってしまいました。

最近になって、またイルカの意識が私のそばにやってくるようになって、やはりこれは私のパートナーシップの問題を解決しようとしているのかと思ったのですが、どうもそれは違うようでした。
イルカが私にずっと伝えたかったことは、まず、表面上としては「自分を愛すること」でした。
それは私がパートナーシップで悩んで、自信がなかった時にいつも登場していたことからも想像がつくメッセージでした。
しかし、彼らが私に伝えたかった本当のメッセージは、それよりさらに一歩踏み込まないと私には届きませんでした。
まずは、「自分を愛すること」ですが、その下地があってこそ、その前提があってから、彼らはこう言いたかったのです。
「あなたが望んでいる幸せと愛は売っていない」
「そして、幸せも愛も人工的には作れない」
ということ。
これは非常にショックなことでした。
なぜなら、もし、お金で買えるなら、方法がわかるからです。
お金を稼ぐのは大変だと言っても、ともかくお金を稼げば幸せと愛が手に入るのですから。

愛はお金で買えないと言う人はたくさんいます。
しかし、幸せはお金で買えるとみんな思っているのです。
そんなことないと言うかもしれないけれど、そうです。
そうじゃなかったら、なぜ、休日にあんなにたくさんの人がショッピングモールにいるのでしょう。
休日にキャンプ場に行く人でさえ、平日はお金のために必死に働いています。
そして、束の間の休みに必死に休もうとするのです。
それは、いったい何のためなのか?幸せになるためなのか?
でも、幸せは人工的には作れないのに。
というより、幸せは人工的に作れないというのは、それを継続させることができないし、そういう状況を作れないということです。
つまり、キャンプ場に行ったって、自然の中で過ごしても、必ずしも幸せになれるとは限らないのです。
海で、イルカと泳ぎたいと思って探しても、見つからないことがあるように。
だとしたら、人間は幸せになれないのでしょうか。
幸せに「なる」というより、自然に訪れるままにしておくということではないでしょうか。
愛も、誰かを愛したら愛されるというのではなく、自然に愛がそっと寄り添うのではないでしょうか。
これは、資本主義社会に生まれ育った自分には衝撃でした。
だってお金があればなんとかなると思っていたから。

でも、考えようによっては、お金持ちだろうとそうじゃなかろうと幸せには関係ないということです。

イルカの意識が私の元にやってくる時、ほとんどいつもあまりお金がかからない方法でした。
プラネタリウムもたまたま見たものでしたし、展覧会はタダでした。
本もそんなに高くありませんし、野崎さんのドルフィン・トークも無料、イルカの声の動画や映像もYouTubeで見れました。
しかし、それらによって、私は彼らの気配を感じ――愛を感じ、そして幸せを感じました。
まるでイルカが「ね?幸せにも愛にも、そんなにお金かからないでしょ?」と言っているかのようでした。
これまで、散々行ったスピリチュアルなセミナーは、そこで何かの気づきが欲しくて行っていました。
しかし、そうしたセミナーよりも、多くの場合、人生の転機にやってくるのは、無料のものでした。
でもそれなら、お金を払って、誰かと会ってという、そういう知り合い方は、全て幸せでなく、愛もないのでしょうか?
そんなことはなく、その場合も、全て、同じだということです。
つまり、幸せも愛も自然に訪れるということ。
どのような知り合いかただったとしても、互いの「在り方(being)」によって、全てが変わるのです。
たぶん、幸せも愛も売っていないというのが真実なんだろうけれど、この社会では、それはタブーなんだ…。
それを知ってしまったら、誰も商売にならないから。
経済活動がまわらないから。
だから、これは秘密。
私とそれを知る「存在」とだけの。