アセンション学について知る前、または、知ると同時に行うべき必須事項とは?
スターシード図書館の館長、星子(ほしこ)です。
先日、UFO研究・コンタクトで有名な、アメリカのグリア博士やジェームズ・ギリランドさんらの本の出版や講演会、映画の翻訳などを手掛けたりしている、JCETI(日本地球外知的生命体センター)を設立した、グレゴリー・サリバンさん(akikoさんのチャンネルでは、グレちゃんの愛称でおなじみ)が、YouTubeで、アセンション学についての動画を出しましたが、星子としては、おお~!やっとか~!!とすごく気分が上がった出来事でした。
というのも、陰謀論、スピリチュアルでも、今の地球で、色々、この分野を調べていると、結局ここに行きつくからです。
しかし、このアセンション学について、知って行こうとする前、あるいは、知りながら同時進行で、実践していくとよい、と言いますか、アセンション学の勉強が、よりはかどるようになることがあります。それが、今回のタイトルにあります、人が1番、恐れていること、それは、自分の内側にある、闇と対峙するということです。
ディヴェルティスマンdivertissement
パスカルは『パンセ』において、人々は死の恐怖を忘れるために、ディヴェルティスマンdivertissementに興じるということを書いています。ディヴェルティスマンとはフランス語で、「遊び」や「気晴らし」、「娯楽」などの意味で、バレエやオペラ作品などで、途中に挟まれる踊りなどを、指し示す言葉としても知られています。
パスカルの言う通り、人々は究極には「死」ですが、何らかの恐怖を忘れるために、気を紛らわしています。そして、それにより、自分の中にある闇を見ないで済ましているのです。ちなみに、こうした意味で、「気晴らし」や「娯楽」とは人々になくてはならないものであるため、ここを手中におさめると、人々を支配・コントロールできるようになります。(古代ローマ社会でいう「パンとサーカス」)
このように、世の中には、自分の内側、ましてや、自分の内側の闇を見なくて済むような、様々なツールが存在しています。(マインドコントロールともいう)。人々は自分の生活の目を背けたくなる部分を、わきへと押しやり、その代りに幻想の世界へと飛びこみます。
スピリチュアルが現実逃避になる時
実はスピリチュアルの世界も、例外ではなく、同じです。自分の負の感情は「ゲートが閉まる前に」さっさと捨ててしまわなくては、闇にファーカスするとそれが引き寄せられてくるから、いいことにだけ目を向けていないといけない、波動が落ちないために闇情報には近づかない、そもそも「非二元(ノンデュアリティ)」が真実だから、そんなものはないんだよ、 …等々、等々、エトセトラ、スピリチュアルをやっている人なら、皆、知っているこういうものがあります。
これらを有名なスピリチュアルティーチャーらによって、お墨付きを与えられ、「そうか、そうだよね、闇なんか見なくていいよね」と自分自身を納得させるのです。
しかし、多くの人がハマるこの罠によって、多くの人が気づいていることがあります。というのは、闇をわきへ追いやったからと言って、自分の内側でも外側でも、闇は消えないと言うこと…。
つまり、相変わらず嫌なことが起こったり、また同じ反応をしてしまったり、自己嫌悪になったり、つまり、何も良くなっていないし、幸せな気分でもない、そんな状態へ逆戻りし、そして、また、「愛と光だけ~」の癒しを受けて、でも、また辛くなってという、この無限ループにはまりこんでしまう、こうした人はたくさんいるのです。(実はこちらもマインドコントロールです)。
自己嫌悪を恐れる
人々はなぜ、ここまでして、自分の中にある闇を見たくないのか?それは、そこにとてつもない恐ろしいもの、モンスターが潜んでいるのではないか?ということを恐れているためです。
そんなこと知りたくないし、恥ずかしいし、ますます自分のことを嫌いになりそう、というわけです。なので、自分のことを愛するとか好きになるメソッドなどでは、自分の良いところを書き出してみましょう、と言うワークがあったりします。
しかし、多くの人がそうだと思いますが、「自分の良いところ」をリスト化することが、とても難しいのです。星子もそうでした。こういう場合、「良いところ」を書こうと思っても、本当に何も出て来ないので、ワーク自体が苦痛に思えてきたり、「こんなに書けないほど自分は酷い精神状態なんだ」と自虐的に思って、落ち込んだり、無気力になったりします。
実は「自分の良いところ」リストの作成を困難にしている原因が、自分の内側の闇と対峙していないことにあったのです。つまり、どこか、やましいところがあるので、「自分の良いところ」を出せと言われても、出て来ないのです。心のどこかでは「やましい」部分、闇の部分も自分の一部であると気づいているので、そこに引っ張られて素直に出て来ないのですね。
グラウディング
「闇と対峙する」と言っても、特別なことをする必要はありません。まずは、静かに瞑想してみること。そして、自分が本当はどう思って何を望んでいるのか、それを明らかにすること。
星子が一番お勧めするのは、グラウンディングすることです。アモラ・クァン・インさんは著書の中で、グラウンディングすると、予期せぬ感情に出会うことがあると言うことを書いてます。
予期せぬ感情は、それを感じ切るとそれがすーと抜けて行くのです。
グラウンディングは極めて安全な自分の闇と向き合う方法です。逆に言えば、グラウンディングをして嫌な気分になったとしても、怖がったりパニックになったりする必要はないということです。
また、何かの天然石(クリスタル)を持って、瞑想することも効果があります。何かの石を持ってネガティブになる時、その石によって何らかの古い感情が、浮かび上がって来た可能性があります。これも怖がる必要はありません。
しかし、感じ切ると言っても自分がどんな風になるか、ちょっと怖いと言う人もいると思います。泣き出したり怒り出したり、周囲の人になんて思われるか心配になります。なので、本格的に闇と向き合う時は、休みの日などに時間を取り、自分独りになることをお勧めします。
そんな時間が取れないと言う人は、日常生活の様々な場面で、自分の本音・本心に気づくようにすると良いのではと思います。「誰誰さんが言っていたから」、「愛と光でないから」、と自分の本音・本心を覆い隠していると、自分の闇に気づけません…。それが、どんなに些細なことであっても、「本当にそう思ってるの?」と自分に問いかけてみることです。
それで出て来た答えは別に誰に言う必要もありません。まずは自分の中だけでわかっていればいいのです。そして、必要を感じたら、きちんと能力のあるヒーラーに相談してみること。この相談をする時は、ちゃんと信用できる相手か見極めてからでよく、焦りは禁物です!焦ると変な霊能者の餌食になってしまいます。というのも、ネガティブなエネルギーは、利用されやすいからです。人々が見たくない部分は、最もコントロールされやすいところなのです。
アセンション学と繋げていく
とにかく、大事なのは自分自身の闇と対峙することを、決意することです!そして、そこで何が出てきても、怖がったり、批難したり、責めたりしないこと。
最初は戸惑うかもしれませんが、多くの場合、自分の内側の闇を観察していくと、そこには、嘆き悲しんでいるインナーチャイルドや、ボロボロになって疲れ果てている自分がいたりします…。それらはエゴ(自我)かもしれません。いずれにせよ、それらを見た時、おそらく、多くの人は、それを、怖がったり、批難したり、責めたりする気は起きないと思います。
むしろ、優しく抱きしめたいと思うことでしょう。そして、必要があれば、リハビリさせようと言う気になるのではないでしょうか…。
世界には地下に閉じ込められ、拷問されたり虐待されている子供がいることは、陰謀論をちょっと興味のある人なら、皆、知っていることです。これと同じように、自分の内側のその奥深くにも、やはり虐待されて地下に閉じ込められている子供がいるのです。その子は光側に救出されることを信じて待っています。なので、光側の自分が、その子を救出して、優しくリハビリさせてあげることが必要なのです。そして、その子を自分の中で統合します。
このように、結局のところ、外側の世界で起こっていることは、我々の内側で起こっていることと同じなのです。なので、外側の闇を見たくないと言う人は、おそらく自分の内側の闇も見ていません。自分の内側の闇と対峙することをした人は、外側に闇を見てもニュートラルでいられます。もちろん、人類には感情がるので、酷い場面を見れば可哀想になったりするのですが、真実をなかったことにしたりはしません。真実を受け止めることが出来るのです。
アセンション学を勉強していると、圧倒されるような真実に出くわします。それでも、内側に闇に対峙した人は、それをしっかりと受け止め、理解できるのです。さらに、自分の体験とアセンション学で知った情報が、思わぬところで繋がったりします。なので、アセンション学を知る前に、あるいは知っていくプロセスの中で、自分の内側の闇と対峙する必要があるのです。
これにより、アセンションのプロセスも、飛躍的に加速していきますが、それもきちんと、地に足のついたものになり、安心感も、もたらされるのです。